ご遺族が葬儀の動画撮影を決断した際、技術的な問題以上に、深く、そして慎重に考えなければならないのが、「何を撮り、何を撮らないか」という、倫理的な境界線の問題です。特に、最もデリケートで、意見が分かれるのが、「棺の中にいる故人のお顔を、映像に収めるべきかどうか」という点です。一方には、「生前の面影が残る、安らかなお顔を、最後の記録として残しておきたい」という、ご遺族の切実な願いがあります。闘病生活でやつれてしまった姿ではなく、納棺師によって美しく整えられた、穏やかな表情。それを映像として留めておくことで、辛い記憶を上書きし、故人の尊厳ある最後の姿を、心に刻み続けたい、という思いです。また、参列できなかった近親者に、せめてその安らかなお顔だけでも見せてあげたい、という配慮も、そこにはあるでしょう。しかし、その一方で、「故人の最もプライベートで、無防備な姿を、映像という形で永久に残すことは、故人の尊厳を損なう行為ではないか」という、強い懸念も存在します。故人自身は、自分の死に顔が撮影されることを、本当に望んでいるのでしょうか。生前の故人が、写真に撮られることを好まない性格だったとしたら、なおさらです。また、その映像が、万が一にも外部に流出してしまった場合のリスクは、計り知れません。さらに、参列者の中には、棺の中の故人の姿を見ることに、強い精神的な抵抗を感じる人もいます。そうした人々の心情を無視して、カメラを向けることは、配慮に欠ける行為と言えるでしょう。この問題に、絶対的な正解はありません。それは、ご遺族が、故人の性格や生前の遺志、そして参列者の心情を深く慮り、家族間で真剣に話し合って、決断を下すべき、きわめて個人的な問題です。もし撮影すると決めた場合でも、遠くからの引きの映像に留め、お顔のアップは避ける、あるいは、お顔を撮影するのは、ごく近親者のみで行う「納棺の儀」の時だけにする、といった、細やかな配慮が求められます。記録としての価値と、故人の尊厳。その繊細なバランスの上に、後悔のない選択はあるのです。