私たちが現在、一般的に「お通夜」として認識している儀式は、そのほとんどが、夕刻から1〜2時間程度で終わる「半通夜(はんつや)」と呼ばれる形式です。しかし、本来の「お通夜」とは、その言葉が示す通り、「夜を通して」故人に付き添う、文字通り夜を徹して行われる儀式でした。この古来からの形式は「本通夜(ほんつや)」と呼ばれ、その意味と役割は、現代の半通夜とは少し異なっていました。本通夜の最も重要な目的は、近親者が故人のご遺体に寄り添い、線香と蝋燭の火を絶やすことなく、夜通し見守り続けることにありました。これには、二つの大きな意味があったとされています。一つは、まだ完全に死の世界へと旅立っていない故人の魂が、邪霊など悪いものに取り憑かれないように、聖なる火で守護するという、宗教的・呪術的な意味。もう一つは、医学が未発達だった時代、万が一にも故人が生き返る(蘇生する)可能性を信じ、その最後の兆候を見逃さないように、という現実的な意味です。家族は、交代で寝ずの番をしながら、故人との最後の長い夜を過ごし、その死を心身で受け入れていきました。では、なぜ、この本通夜という慣習が廃れ、半通夜が主流となったのでしょうか。その背景には、日本の社会構造と生活様式の大きな変化があります。葬儀の場所が自宅から専門の斎場へと移ったことで、夜通し会場を使用することの制限や、防犯・防火上の理由から、長時間ご遺体に付き添うことが難しくなりました。また、核家族化が進み、親族が全国各地に散らばって暮らすようになったため、夜通しの儀式が、参列者にとって大きな身体的負担となるようになったのです。さらに、日中の葬儀・告別式に参列できない仕事を持つ人々が、仕事終わりに弔問に訪れることができるように、という社会的なニーズから、通夜は、弔問客を迎えるためのセレモニーとしての性格を強めていきました。こうして、通夜の役割は、「故人を見守る」ことから、「弔問客を受け入れる」ことへと、その重心を移していったのです。本通夜という濃密な時間は失われましたが、半通夜は、より多くの人々が故人との最後のお別れに参加できる機会を提供するという、現代社会に適応した新しい「弔いの形」なのです。
「半通夜」と「本通夜」、現代における通夜の意味の変化