父の葬儀で、私が動画撮影をプロの業者に依頼すると決めた時、一部の親戚からは、静かな反対の声が上がりました。「亡くなった人を撮影するなんて、不謹慎ではないか」「心の中に、そっと留めておけばいいじゃないか」。その気持ちは、痛いほど分かりました。しかし、私には、どうしても映像として残しておかなければならない、切実な理由があったのです。その最大の理由は、海外に住む、私のたった一人の弟のためでした。弟は、仕事の都合で、どうしても父の葬儀に駆けつけることができませんでした。電話口で、声を殺して泣いていた弟。「親父の最期に、顔も見られないなんて、俺はなんて親不孝なんだ」。そう言って自分を責める弟に、私は何と言ってやれば良いのか、言葉が見つかりませんでした。その時、思ったのです。せめて、父が、どれほど多くの人々に愛され、温かく見送られたかを、弟に伝えなければならない。父の立派な最後の姿を、弟の心に届けなければならない。それが、喪主である兄としての、私の最後の務めだと。私は、撮影業者の方に、二つのことを、強くお願いしました。一つは、棺の中の父の顔は、決してアップで撮らないでほしい、ということ。もう一つは、参列してくださった方々の、悲しい表情よりも、父の思い出を語り合う、温かい表情を、できるだけ多く撮ってほしい、ということ。葬儀が終わり、一ヶ月後、編集されたDVDが届きました。そこには、私が知らなかった、父を慕う多くの人々の姿と、涙と、そして笑顔が記録されていました。私は、そのDVDを、すぐに弟の元へ送りました。数日後、弟から国際電話がかかってきました。「兄さん、ありがとう。親父の周りに、あんなにたくさんの人が集まってくれてたんだな。親父は、幸せだったんだな。俺、これ見て、やっと、ちゃんと泣けたよ」。その声は、少しだけ、軽くなっているように聞こえました。動画撮影は、不謹-慎な行為などでは、決してありませんでした。それは、離れ離れになった家族の心を繋ぎ、悲しみを分かち合い、そして、父の生きた証を、未来へと繋いでいくための、私たち家族にとって、かけがえのない「希望の光」となったのです。
私が父の葬儀で動画撮影を依頼した、本当の理由